昭和五十年十月五日
御神訓
生きても死にても天と地は我が住み家と思え。
確かにそうであろうとおもいます。そこまでは誰でも分かります。そうだろうと言う。私共は死んだら何処へ行くのだろう。霊の勿論世界ですけれども、またはそれを仏教的に言うならば、地獄、極楽、まあ地獄か極楽かわからない。霊の行き着く先は何処だろうかと、それは生きても死んでも、天と地は我が住みかと思へと、もう天地より他に行くところはない、漠然としたことですけどなるほどそうだろうと思います。だけどもそうだろうと言うところまでしか感じません。だがそれでは死生の安心というのは得られません。だろうと言うくらいでは死んでから先まで、と例えば言うかもしれませんけども、やはり安心のおかげを頂くということが死生をとうしての安心をえられる。教祖様はそういう道を教えてくださるんです。だから信心をしておれば、段々それが分かって来るのでなくて、やはりその前に疑いを放れて広き真の大道を仰ぎみよ、わが身は神徳の中に生かされてあり、と言う御神訓がございます。
私はもうここのところがです。成る程わが身は神徳の中に生かされてあるんだという、おかげを頂かなければ、生きても死んでも我が住家は天と地と思えと言うような人間ギリギリのところの安心、というものものは生まれてこないと思う。
疑いを放れて広き真の大道を見よ、わが身は神徳の中に生かされてあり。言うならば生きても死でも天と地は我が住み家、その天地そのものを、まあ生かしなさる事ができる神様、いやなさっておられる神様、その神様のお懐の中とでも申しましょうか、神懐のなかに生かされてある、喜びが感じられる、分かる。おかげを頂かなければ、安心の言うならば、死生観というものは生まれ来ると思う。信心のギリギリのところはやはり此処だと思うです。どういう修行をしたならば、死生の安心が得られるかと、いろいろ様々に多くの宗教家達がここの所に焦点を置いて、様々な道を、又様々な信仰をしてきたと思うんです。
或、大変高徳な、有名な、お坊さんが亡くなられたときに筆と墨をもって弟子達が、これほどのお徳の高い師匠であったから、いよいよ最後の時の言葉を聞いとかなければいけない、最後の教えをいただいとかねばならない。それでそれを求めて、お伺いしたときにです、その坊さんが書かれたことがね、「死にとうない、死にとうない」とかかれたそうです。これが人間の誰しもが、そういう、どんなに偉そうな事をいうとっても、いよいよギリギリのときに、もうやはり死にとうない、死にとうないというのが、実感だろうと、だからそれが実感であったんでは本当いうたら宗教者の値打ちはないということです。疑い放たれて広き真の大道を開き見よ我が身は神徳の中に生かされてある。本当に神徳のなかにいかされておる実感がなかったかと、只言うならばお坊さんのことですから、たくさんな教典、経文の言われ、その訳というものを勉強してその事を分かられたにちがいありません。けれども神徳の中にいかされておる喜びにひたる、いうなら信心生活は、受けていなかったということになるのです。
ね、ですから教祖様は此処んところをです、我が身は神徳のなかに生かされてある、喜びを分からせていただかねばです、生きても死んでも天と地は我が住み家と思える、いうなら大安心のおかげは頂けない。只これは信心のないものでも又浅いものでもです、生きても死んでも天と地は我が住み家と思えと言う、ところを頂いたらです、言われたらです、そうだろというところまではすぐわかるのです。 なちゃろうと、生きておる間は現実こうやって天地の間に生きておることは分かるけども、なら私共霊の世界、私共只たどりつく所は何処だろうかと、本当に地獄、極楽はあるのだろうか、という風に疑問が起こってくる、不安が起きてくるわけです。そこに死にとうない、死にとうないという答えができてくるわけです。けれども、私共がこの世に生を受けておる間にです我が身は神徳のなかに生かされてあると言うことを、分からせて頂いたら、言うならば心が生き生きとして助かってきたらです、この心の在り場所というか、行き場所というものがです、やはり生きても死んでも天と地は我が住み家と分からせて頂いたら私は安心ができるのではないか。私自身もいよいよの時は「死にとうない、死のとうない」というかも分かりませんです。わからんけれどもこのように、日々おかげをいただいてです、本当に我が身は神徳のなかに生かされてあることが、わからせてもらう、言うならば本当におかげの世界に住むことができる。
昨日は神愛会でございました。先生方ばかりの研修です。住んだら先生方に夕食をいつも一緒にさしあげるわけですけれども、もう終わり頃になりましたらあっちこっちから集まってくる、集まってくる。それこそ先生方に一献さしあげますから、それこそしかも最高の海山川の種々のものが集まってくるのです。これはいつの会でも私、例えば今日もお客さんがあると、おとどけがあっとりますと、もう本当にそれこそ、仕出し屋でも頼んどからにゃ、頼んだっちゃ集まらんごたるものが集まってくるです。いうならば驚くばかりです。成る程神様が見通うし、聞き通しでおありなさるなと、神様がこのような、日々おかげをくださる、まあ食べ物のことだけではないですけど、ね。必要なものが必要に応じて頂ける世界、しかも限りなく頂いていけれる世界、そういう世界に住んでみて初めてです、いはば、霊の世界もこの通りの待遇を受ける事ができる、確信が段々できてくるのじゃないかと思う。この神様はいはば、天地金乃神様は、生きておる間だけを守ってくださる神様ではない。生死を通して、お守りくださる神様であることを、観念的にでも、分からして貰う、言うならば生きても死んでも天と地は我が住み家と、観念的にでも分からしていただいてです、それをうらずけする。私はおかげというものがね、この疑いを放れて真の大道を開きみよ、我が身は神徳の中に生かされてあり、神徳のなかに生かされてある。説明を聞かせて貰えばです、なら信心のあるものでも無いものでも神徳のなかにいかされてあるということが、説明を聞けばわかるんです、誰でも。けれども特別のです、いうならば神徳の中に生かされておる事実を私はおかげと思うです。おかげの世界とおもうです。ね、金が必要なとき金が、物が必要な時には物が、食べ物が必要な時には食べ物がその必要に応じて頂けるおかげの世界というものが、もう本当に行本さんじゃないですけれども疑うにも疑うこともできない事実がね、おかげに依って示してくださる。その示される信心をいただくためにね、まずは疑いを放れて真の大道を開いてみなければいけない。そして我が身は神徳の中に生かされている喜びに、日々がです、繰り返されていってこそ、初めてそれこそ教祖の神様じゃないけれども心易しという、いよいよお国替えの状態になられたときに、それこそ心安しという心境でお国替えができられんように、私共がです、そういう神徳のなかにある、そうゆう世界に住み替えるだけだと、霊の世界にという事が、これが観念的にではなくて実感として、頂けるようになる、と思うのです。それです。なら疑いを放れて広き真の大道を開き見ると言うことが、お道の信心のいはば眼目と言うもんです。おかげの眼目です。真の大道を開き見なければいけない。
昨日、研修の終わりかけでしたが合楽でこれ程しの日々おかげを頂いておる。この教えをね例えば昨日なら昨日の研修が、今にみなさんが話されたり、私が話たりしましたがです、全国のお道の教師の方が聞かれるようになったら、どんなにすばらしいことになるだろうか、こうゆう間違いのない、いうならお話を聞かせていただいておるが、どういう訳で合楽の話をしないのだろうか、とこれはやはり私の不徳ために広がっていかんのだと言う風に思うが、いうならば合楽の信心に皆が食いついてこないのは何処に原因があるんだろうか、というような話になったんです。成る程日本全国に大変御比礼の輝いておる教会は、大きな教会は、沢山あります。まあ今日本一と言われるような阿倍野とか、玉水さんとか、泉尾とか、または四国の双岩とか、又は山口の田布施とか、もうそれこそ、もうそれこそ、大変な人が集まり、大変な人が助かっておる。けれども今、教団で行っておられる、御取次成就信心生活運動といういわゆる本当に金光教的とか、それはーーーーおかしいじゃないかと、言われるような言葉で言われるわけですが、もう人が助かっておることは事実だし、ならその中に合楽も加えていただいて合楽も、こうして人もーーーとして助かっておるではないかと、そしてそのいろいろの信心を見て見てです、教団でいっておる本当の助かりというのは、本当に金光教的助かりと言うものが合楽をおいてほかにはないのじゃないかと、なら今月の御理解を頂くと、広き真の大道であり、天地の大道を説いておるのだと、人が助かるというてもです、霊様関係、霊の世界のことをいって助かっている教会もある。先生が例えば指圧の様なことをなさって、それこそ沢山の人が助かっている教会もある。けれどもこれこそ天地の大道につながると思われる程しの、例えば天地の道理を説きあかしながら助かっておるという意味合いでならば、また教祖の御教えを深く、広く、説きながら人が助かっておるのは合楽をおいてほかはないと私は思うのですから、それがなぜ取り上げられんのであろうか。皆さんもそうおもわれないですか、此処で言われる「成りゆきを尊ぶ」「成りゆきを大切にする」事でも天地日月の心に成ること肝要だと、全ての事柄に御の字をつけて頂く頂き方と、そういう例えば間違いない真の信心を目指してお互いが日々信心の稽古をさせていただいておる。私は例えばいろんな教会を、だがどれも教祖金光大神の信心になるのだけど、まあ強いて金光教的助かりで言うならば、合楽を置いてほかにないのだろうか、とさへ思われるのに、どうしてこれは合楽の信心に帰依して来ないのだろうかと、そりゃまあ自分よがりかもわかりません。けども少なくとも私はそういう風にかんじる。
いろんな話がでましたけれども、まあ結局合楽示現活動に参画さしていただいとる方達が本気で、いよいよこれを世界にと、言う前にまずは教団人銘々にです、教祖の信心の深さ、広さ、を頂いてそれを広げて行かねばいけないと言うことになるわけです。なかばに伊万里の竹内先生がみえられました。東京の出張の帰りによられたということです。
それに今大変市政の上で、大変な大修行に立っとられるようです。でそのことのお話を聞かせて貰いましてから、その後にこんな話をさせてもらいました。
昨日、一昨日でした、公子先生が私の部屋にやってきてから、こう言うことをいうのです。
先生、裏で増築があっとります。大工さんが昨日までで終わったんです、大工の仕事が。大工さんが昨日、一昨日ですから明日までで終わることになりましたから、先生私共が頂いている二階の部屋の梯子の入り口にです、両方に木をつけてもらって、上からストーンとこう落とすような仕切を作っていただきたいとこういうわけです。どうしてやというたら子供がごそごそ這い出すようになったら危ない、二階から落ちるようなことがあちゃならん。それで大工さんに相談しましたところが、こちらが木じゃないもんですから、やっぱり一寸難しいらしいです。それでもいよいよ、明日おわりじゃからしていただこうと思いますが、と言うから私はようそこんにきがわかったから、そらそげんしてもらうがよかたいと、わたしはいいよりなした。
またようと家内に聞き直したら公子さんは梯子のあそこんところに仕切をつくるといいよるとですよ、と言いますからそりゃちょと待て、そげなことはいかんぞち、そりゃまあ親心としてです、成る程、あの高い二階からごそごそ這うてちきて落ちるようなことがあってはいけないから、あそこに仕切を造るというわけです。そげんしよると今度は光昭たちも二階住まいをして今度子供ができたら、あそこの二階にも仕切をつくらんならんごとなる。そりゃ二階住まい三階住まいという人がありますばってん梯子に仕切のあるところなんか聞いたことも、みたこともなかぞ。と私が公子先生ば呼んでこい、と言うてもうしました。だからね、私が子供が段々悪さをするようになって、障子を破ろうが、襖を破ろうが公子さん、そげなことは全然問題はないよて、けれどあんたが自分の子供の事ばかりかんがえて、これがまあいっときして、大きうなって落ちたらどうするじゃろかと考えて考えよるけん、そげなことば考えつくとじゃん。だからね障子があるとのだから障子を閉め切ってきたらどうか、障子を今度開けきるごとなったなら、障子をこうやって結んで開かんごとして、例えば降りてきたらどうか。でなかったら子供をしたに降ろしとったらどうか、二階の梯子に仕切を作るとば止めたらどうか、
そりゃもう、私も、末永先生、主人にはなしましたら、そげなこつばお願いしてからというて叱られたという訳なんですよ。もうそれこそ子故に迷う親心とはそういう事だろうと思うですね。あれだけ気の利いたひとがね、自分家の子供のためにそげな間違ったことをして貰おうといいよるのですから、いうならば視野がせまいです。疑いを放れてまことの大道をみたらです、例えば神様がね、二階から落ちる様なことをしなさらせん。例えば落ちても危ないことはないと確信できれる所に信心があるのです。ね、
とにかく伊万里市の大変な難儀な市民の方達が色々陳情にやってくる。先生そげんいいなさるそうです。一人一人の陳情がですね、丁度今公子先生がいうた自分の子供の可愛さ、自分のこと、自分の家のことだけを思うから、そして此処に仕切をつけてくれの、此処に梯子を付けてくれという 陳情ばかりというわけです。まあだから視野をもう少し広くしなさいという意味のことをいうてやらんならんということをいっておられました。だから信心さして頂くなら、いうならば只指圧で直るかとか、霊様関係だけで助かるとかね。そんなもう、それでも助かることは助かるけど、本当の助かり方は天地に繋がる大道、それこそ小森野の高田さんじゃないけど、昨日は高田さん所で宅祭りがあった。三十年間の大変なおかげを受けられて三十年間の感謝の宅祭りがありましたから合楽からも光橋先生が来てくれということでしたから、お参りさせて貰いました。宮ノ陣の先生親子でお祭りを仕えられました。そしてもう合楽の話で持ちきりました。その高田さんが親先生に言っておられる事がです、私はもう何十年ちゅうて宮ノ陣にお参りしよりますけど、先生あなたが私どんに教えとるのはもう畦道のごたる道をおしえとる、今、私は合楽で、天地につながるそれこそ大きな大道を、教えて頂き依るというて、親先生に言うたら、ほんなこつじゃんと共鳴しえ下さったということです。だから畦道でも天地につながる、歩かれることは歩かれる。おかげはいただく、霊さん関係がいけんというのじゃない、指圧がいけんのじゃない、いろいろないきかたがあります。いうなら御用一筋でおかげいただいとるところがある。それを、それがいけないのじゃない。けど合楽で言う信心こそです、本当に天地に繋がる大道では無かろうかと私は思う、然も教祖の御教えも深さ、広さという物をです、探求しながら私共はおかげをいただいとるのですから、言うなら視野が天地に広がる程しに広がって、しかも信心の稽古のいうならば焦点というのがです、そこにおいての信心の稽古、いうならばそれが神愛というものだ。これは神様の神愛というものですけれども、自分がまだ力がないからそれを有り難く頂けるのだと、けど焦点が、これも神愛、これもおかげ、あれもおかげと分からせていただいて、信心の稽古を、日々させていただいておるといういきかたですからね、合楽の
生きても、死んでも天と地は我が住家と思えと、頂ける、それが信じられる。それが確信できるところの言うなら大安心のおかげを頂くことができる。いうなら死ぬるときだけそういう心が、起きるというのではなくて、どういうくわしいことを知っておっても、どういう天地の道理を知っておっても、心理を知っておってもいよいよ死ぬるときに、死にとうない、死にとうないと言うことではいけない。私共が生きとるうちに本当の助かりを頂いとかねばいけない。おかげの世界に住んでおかねばいけない、神徳の中に生かされておるということは、信心のある者も無い者もなべておかげを頂いとるのだけれどもそこに難儀を感じるような事はいけない、真の大道を開かせて頂いたら我が身は神徳の中に生かされておるなという、信心の喜びを謳歌しながらもーーーーなからねばいけない。それには、ならおかげの世界に生きなければいけない、神様がこの様に行き届いて、例えば昨日のことでもそれこそ、お客さんがあったといえば、それこそ海山川野の種々のものが集まるということ、おかげの世界に住んではじめてです。
このまま行けばこの辺もまた恐いところではないと、さみしいところではない。そういうものがーーーに強くなって来るのではないでしょうか。この世で有り難いという境地を開いておかずして、あの世に有り難い世界を求めると言うことが、言うなら後世願いの信心で、死生の安心などとても私は得られないと思う。まずは疑いを放れて真の大道を開いてみる信心をいよいよさせて貰はねばいけません。そこから日々一分一厘間違いのない信心を実感させていただいて、初めて生きても死んでも天と地は我が住家と思えるおかげが頂けると思うのです。これは、観念ではありません。実感としてそれが感じれる信心を、生活にはいらせて頂いて、安心の生活、安心のおかげを頂いておると言うことがいえるのじゃないでしょうかね。
どうぞ